日記・芸能 音楽

冨田勲さん亡くなる。これまでの軌跡

2016/10/22

作曲家の冨田勲さんが5日の午後2時51分、慢性心不全のため
84歳でお亡くなりになりました。

倒れる前までイベントの打ち合わせをしていたらしく、
楽しそうに「11月まで死ねなくなっちゃったよ」と話していたそうです。

現在の東京都杉並区である東京府に冨田勲は生まれました。
独学で始めた作曲は高校2年からは平尾貴四男、小船幸次郎に師事します。
大学に進学後、引田龍太郎のもと音楽理論を学びました。
大学2年の頃には朝日新聞が主催したコンクールの課題で
合唱曲「風車」が見事1位入賞を果たします。
そこから冨田勲の作曲家人生が始まったのです。

冨田勲さんはシンセサイザー奏者の先駆けともいわれます。
シンセサイザーとはいったいなんでしょう?
ピアノと同じような鍵盤がついているため同じようなものと思われがちですが、
音が違います。
音、というのはモノの振動が波になって空気を伝わるものですが、
シンセサイザーはその波を電気的に再現しようというものです。
基礎となるシンプルなノコギリ波、パルス波、三角波などを、
加工して音を作っていきます。現代の技術ってすごいですよね。
今町で耳にする流行りのダンスミュージックやポップスなどの
生音(ギター、ヴァイオリンなど)以外はほとんどシンセサイザーが
使われているといっても過言ではありません。

そのシンセサイザーを日本でいち早く導入し、
「月の光」、「惑星」などクラシック作品を発表します。
最初のアルバムである「月の光」を日本のレコード会社に持ち込んだところ、
断られたらしいです。(ジャンルが曖昧なため置く場所がないとのこと…)
その後、アメリカに持ち込み、「Snowflakes are dancing」としてリリース。
坂本九さん以来となるビルボードランキング入りを果たします。

そして1974年には日本人としては初めてグラミー賞にノミネートされました。
スティーヴィーワンダーにもっとも尊敬している音楽家として名前を挙げられ、
マイケルジャクソンが来日した際にはスタジオを訪問したといいます。
冨田勲さんがどれだけ素晴らしい音楽家であったかということがわかると思います。

2012年にはなんとVOCALOIDの初音ミクを起用した
「イーハトーヴ交響曲」を発表し話題を呼びました。
常に新しいものを取り入れようとするその姿勢は
すべてのクリエイターのお手本になるものではないでしょうか。

天国でもその続きの作品をつくってほしいものです。
ご冥福をお祈りいたします。

では。

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